馬の守りの植松地蔵と開拓地蔵
どんな伝承か
文禄年間、会津の蒲生氏に仕えた武士の植松五兵衛という人が、南作の清五郎内に住んでいた。馬の扱いに長けた人だったという。年代ははっきりしないが、五兵衛の死後に地蔵が祀られ、植松地蔵と呼ばれて、馬を追うときにけががないよう祈られたと伝わる。昭和二十一年、土地の人たちの発案で堂が建てられ、開拓地蔵として祀られるようになった。今の矢大臣の開拓地にある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
滝根町史 第3巻 (民俗編)
『滝根町史 第3巻(民俗編)』の口承文芸の節から伝説を抜き出したものである。福島県田村市滝根町(菅谷・神俣・広瀬)の大滝根山の田村麿と大滝丸、入水寺の観音、小野小町の伝え、鶴ヶ池物語、人柱茂左衛門、曽富登神社、六句の坊、片手観音、三本足の鳥、姥捨山などを収める。古い村誌の文語の引用と聞き書きの口語が混じる。