和泉式部が髪を洗った坂と乱れ橋
どんな伝承か
和泉式部が九州へ向かう途中、浜田へ行く道の山にさしかかって髪を洗ったと伝わる坂で、今は神社阪とも瓶割阪とも呼ばれる。式部はそのあと浜田の西の周布村に着いて宿を求めたが、泊めてくれる人がなく、乱れ橋の下で夜を明かした。連れていた赤子が泣き出して乳を飲まないので、橋の欄干を削って含ませると泣きやんだ。それで今も、夜泣きする子にはこの橋の欄干を削って飲ませるとよいといわれている。
原典より
和泉式部が九州へ行く道で、濱田の途中の山に差しかかつて、髪を洗ったといふ。—— 日本伝説名彙2 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙2
柳田國男監修『日本伝説名彙』の後半にあたる部分で、全国の伝説を地物の種類ごとに分けて集めた名彙である。塚の部(糠塚・七人塚・首塚・十三塚など)、坂・峠・山の部、谷・洞の部、屋敷・城趾の部(長者屋敷・朝日長者・白米城など)、祠堂の部(地蔵・薬師・観音・天神・八幡・稲荷・宮など)の各題の下に、府県・郡・村の所在地を頭に置いて各地の伝えを短く並べ、多くの条に出典の郡誌・伝説集の名を添える。