英彦山玉屋窟の鬼神の大仮面
どんな伝承か
北部九州では追儺が各地で行われたらしく、中でも名高いのが豊前田川郡の英彦山である。『太宰管内志』によれば、高さ四十間ほどの屏風のような岩の下に北へ入り込んだ玉屋の窟があり、そのあたりで三所権現の追儺祭が行われたので玉屋谷の鬼神と呼ぶという。森春樹の説では、上古に鬼神が住んだ跡で、その鬼の顔を写したという額から顎まで三尺ほどの古い大仮面が伝わる。二月の祭ではこの面を強力に背負わせて這わせ、十人ほどで後ろから綱を引いても一人の力にかなわない。鬼の力がしばらく面に入るためで、面を外せば常の力に戻るという。
原典より
さて其強力に網をつけて後の方より十人ばかりにてひくに一人の力に敵しがたしと云。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。