五穀神社の祭礼「御繁昌」
どんな伝承か
久留米小史によれば、久留米市街では文政年間に通り十町目の五穀神社の近傍に新店を開いて藝娼妓を許したが、天保年中に至って禁止された。また明和年中から天保年中まで、五穀神社の祭礼では歌舞や雑踏を士太夫に縦覧させ、俗にこれを「御繁昌」と称して頻々と挙行した。その時に唄われた艶めいた歌詞が伝えられており、「はやり手拭みなそめて」などの文句が残っている。
原典より
明和年中より天保年中に至るまで五穀神社祭禮歌舞雜沓士太夫をしてこれを縦覽せしむ。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。