綴堅坑に写った切れた索と足
どんな伝承か
遠隔霊写実験の第二の地点は、福島県石城郡内郷村の綴堅坑の坑口であった。大正六年四月十七日午後三時、緑川氏が八切半打の乾板を持って定刻にそこに立った。百三十余哩を隔てた東京の霊能者は、写すという意識を働かせるだけで、昏睡状態にも精神統一にも入らない。乾板は父の上京とともに現像され、いずれも完全な霊写となった。第二の乾板には、網の切断した形と足とが現れていた。これは明治四十四年六月二日、ここでワイヤロープが切断して死者一名、負傷者十名を生じた事故を物語るものであると著者は記している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心靈寫眞の研究(大和田徳義・大正6年~大正9年(1917年~1920年))
本書『心靈寫眞の研究』は、大和田徳義による心霊写真研究の実践記録である。著者は日光氏という霊写能力者と協力し、大正6年から9年にかけて東京と福島県で一連の霊写実験を実施した。主要な実験は、神田表神保町の井戸埋立地、福島県の炭鉱坑道(明治40年の失火事故の霊)、小野田炭山隧道(明治29年の馬車事故の霊)、麹町区永田町の因縁調査、弁護士邸での三百六十枚乾板実験である。