掛軸の陰から覗く娘の顔
どんな伝承か
浅草の北の台東区山谷町は、木賃宿が百軒余り密集する一帯である。南千住の映画館で興行していたチャンバラ劇団の一行が、楽屋がないため泪橋に近い光月館という宿に泊まった。夫婦者の座員のために四畳の一室を一晩ずつ交替で使わせたところ、最初に入った若い役者が、若い女の幽霊が出たと言い出す。試しに座長夫婦が寝てみると、妻が夫と睦む間に突然目を見開き、床の間の掛軸のあたりを指して、変な女がいると口走った。妻はその後四十度の熱を出して三日寝込み、見知らぬ女の夢ばかり見たという。近所で聞くと、この宿には応召した恋人を七年待った娘がいて、戦犯として銃殺されたと知らされて心を病み、近ごろ自害したのだという。
原典より
「――なにしろあった、ひさしぶりに楽屋泊りの気疲れから解放されたンでホッとしたせいか、女房の君は、床へもぐり込むとすぐスヤスヤ寝息を立てはじめたンで・・・・ところが、同じじに疲れてる筈のボクのほうは、なかなか寝つかない・…—— 夫婦生活(野一色幹夫) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
夫婦生活(野一色幹夫)
『夫婦生活』は、雑誌『夫婦生活』に載った野一色幹夫の記事「オルガスムスの女にだけ見える幽靈」を収めたものである。東京台東区山谷の簡易宿に泊まったドサ回り一座の座長夫婦が、二人で床を共にすると妻にだけ若い女の姿が見えたという話を座長から聞き書きし、近所で聞いた、その部屋で狂い死にした娘の噂を添える。小見出しを立てた読物風の記事で、性の描写を交えて書かれている。