講金泥棒に群がる螢の祟り
どんな伝承か
江州の船上村の勘四郎は、村の講金およそ百両を預かって伊勢参りに出たが、明星の宿の煮売り屋で便所を借りたすきに亭主の甚八に金を抜かれ、財布に石を詰められた。詰め寄ると算盤で打たれ、村でも信じてもらえず、家財を売って償い、乞食となって国々を巡った。三年後に明星へ戻ってまた打たれ、隣の国分寺の門前で息絶えた。その後、甚八は勘四郎の面影に悩んで床に伏し、夏ごろから勘四郎の墓から大きな螢が何千と湧いて甚八の家に取りついた。螢は夜ごとに増え、熱湯を浴びせても減らない。神罰だとして誰も助けないまま甚八は苦しみ抜いて死に、螢もどこへともなく散り失せたという。
原典より
すると甚八もるのにおそはれると見えて、あら苦しや、耐へがれやと悲鳴をあげて、泣きさけぶから—— 実説妖怪新百話 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
実説妖怪新百話
『実説妖怪新百話』は、著者名の記されない怪談集で、日露戦争の後に編まれたとみられる。本郷駒込曙町の世外庵に住む天保初年生まれの老翁の勧めで、門下生三十六人が籤で順番を決めて百物語の会を開き、自分の見聞や親・知人から聞いた話を語る趣向をとる。武家の妻の執念、化物屋敷、狐狸の化かし、前妻のたたり、漁師の幽霊の帰宅などを、会津・三河・東京・房州館山・野辺地・若狭小浜・盛岡などを舞台に題ごとに並べる。