拾った袱紗を追いすがる女の声
どんな伝承か
友人の池内君が経験した、いまだに謎だという実話。溝渠の多い深川に住んでいた彼は、夏の夜半十二時過ぎ、いつも通る寂しい河岸の道を急いでいた。片側には材木が高く積まれ、一方はどんよりと黒い水面である。下駄に何かが触れたので拾い上げると紫の袱紗包みで、指先には通帳と印章と札束らしい感触があった。喜んで数十間歩くと、か細い若い女の声が「もし、もし」と呼び止める。振り返っても誰もいない。声に追いすがられ、電柱の陰で包みを開けると、中身は一握りの髪の毛と血のついた黄楊の櫛だった。捨てると声はやんだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖奇怪談集(山門王吉・1936年(昭和11年))
『妖奇怪談集』は、山門王吉が著し、東亞書房が昭和十一年七月七日に発行した怪談集である。序に言うとおり、白昼の銀座で死んだはずの友人にマッチを借りる話や円タクに乗る亡霊、トンネルの狂女など、当時の実話に取材した新感覚の話を主とし、旧来の型の話を二篇添える。巻頭の「怪談コント一束」は闇の声や消えた女など七つの小話から成り、続いて「銀座の悪夢」から「生首を盗む女」まで七篇を収め、巻末に奥付と同書房の満洲案内書などの広告を載せる。