女装男装で囃した大門町の豊川稲荷札
どんな伝承か
信濃でのお札降りの初出とみられるのは、慶応三年九月二十四日、飯田の大門町へ豊川稲荷大明神の札が降ったものである。これに続いて二夜三日にわたる振る舞いがあり、町内は残らず客に呼ばれ、祝儀には酒のほか錫・鰹節・当百銭などが出されて町内あげての祝宴となった。町内の老若男女に酒・餅・赤飯などが振る舞われ、銭の施しもあった。町々は俄を出し、男は紅と白粉を塗って女の姿になり、女は羽織袴をつけて男髷を結い腰の物を差すなど変装し、三味線・太鼓・鼓・笛を鳴らして囃し立てた。この騒ぎは飯田から周辺の宿々村々へ波及していった。
原典より
これにつづき二夜三日にわたる振る舞いがあり、町内はのこらず客によばれ、祝儀には酒のほか錫・鰹節・当百銭などがだされ、町内あげての祝宴となった。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。