九段坂から堀へ落ちても無傷の守り札
どんな伝承か
天明二年の春、御小性の新見愛之助が登城の途中、九段坂の上で馬が何かに驚き、数十丈も深い御堀へ馬もろとも転げ落ちた。ところが怪我ひとつなく、着物を改めてそのまま登城したという。不思議がった人が何か守りでも持っていたのかと尋ねると、知行所の者から送られた守り札を持っていただけだと言い、その文字を書き写して見せた。知行所の百姓が野で雉子を射たとき、名手が何度射ても矢が当たらず、追い回して捕らえると羽の裏に四つの作り文字が記されていた。それを書いた札で、そのころは身分を問わず子どもにまで持たせたといい、札には歌も添えられていた。
原典より
九段坂の上にて乗馬物に驚きけるや、数十丈深き御堀内へ馬と一所に転び落けるが怪我もせず、着服等改め直に登城有りし也。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。