実心可感事
どんな伝承か
佐渡奉行の本目隼人は佐渡で病死し、墓も相川の寺にあった。百里の海を隔てているため、家を継いだ者からの便りも途絶えがちだった。のちに石野平蔵が佐渡奉行となって二度目の在勤のころ、隼人の三回忌の年に、平蔵の雇い足軽が墓のある寺を訪れ、麻裃に着替えて金百疋を納め、隼人の位牌に参った。住僧がもてなして訳を聞くと、自分は隼人の存命中に小者として仕えた者で、江戸へ戻っても恩が忘れられず、石野の奉行就任を機に足軽として渡海を願い、念願の三回忌の弔いに来たのだと語った。住僧は感じ入り、その後その者を手厚く遇したという。
原典より
我身は本目隼人様御在世の節御小者いたし候者也。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。