小堀家稲荷之事
どんな伝承か
京都に住む上方郡代小堀数馬の祖父の代のこと。ある日、三千石以上の格式と見える供揃えの者が玄関に来て、長年世話になったが、このたび出世して他国へ移るので暇乞いに来たと言い置いて帰った。取次も数馬も心当たりがなく、公家や武家、その家人にもそんな名は聞かないと不審に思っていた。ある夜の夢に、自分は屋敷の鎮守の白狐で、藤の森の指図で他国へ昇進したので暇乞いに来た、疑うなら翌朝座敷の縁を清めておけ、姿を見せようと告げられた。翌朝縁を塩で清めておくと、果たして白狐が来て縁の上を歩き、はっきりと足跡を残して去ったと、小堀家の家来が語った。
原典より
果して白狐来りて椽の上を歩行し、足跡明にあつて立去りしと、彼家来の語りぬ。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。