館林領にて古き石郭を掘出せし事
どんな伝承か
寛政八年の春、館林の松平久五郎の領内にある寺の僧が、三、四日続けて同じ夢を見た。誰とも知れぬ者が現れ、境内の畑を掘れば霊仏が出ると告げるのである。実直な僧が村の長に伝えると怪しい話だと相手にされなかったが、たびたび訴えるので、寺の内なら勝手にせよと許された。人を集めて深さ一丈、二間四方ほど掘ると石の槨が出て、中に太刀一振りと脇差のような物があった。一尺四方ほどの銅板らしき物の文字は磨り減っていたが、田原藤太秀郷を葬ったと読めるような文言だったという。領主の役人は怪しげな噂になることを案じ、寺社奉行に問い合わせてから届けることにしたと、家臣の伊藤郡兵衛が語った。
原典より
寺にて人を集め深さ一丈程巾弐間四方程も堀しに、一つの石槨を掘出せしが、内に太刀一振指添様のもの有りて…—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。