禅をやめた男の身体を這う瘤
どんな伝承か
大正八年頃、京都市外上嵯峨の中院に住む某は、南天棒の四天王と呼ばれるほど禅に打ち込み、十五年ほどを禅行に費やしたが、禅が現代の暮らしとかけ離れていると悟って修禅をやめる決心をした。すると病気一つなかった身体がだるく変調をきたし、あちこちに瘤が現れ、寝ようとすると何者かが目を突き耳をつまみ鼻をくすぐり、大入道に睨まれることもあった。邪僧の霊の妨げと考えた某は、静岡の清水港へ赴いて浅間神社の神人長沢雄楯に毎日鎮魂を受けた。やがて右肩の瘤が、鼠が階段を下りるような音を立てて腕から手首、人差し指の先へと移り、不意に腹が縦に裂けて鰻の肝のような物が落ち、すぐ消えた。以後身体は平穏になった。
原典より
* 格子戸に挟まれた老婆 (239)* 謎の客 (240)* 天井からぶらさがる足 (243)* 奇蹟の処女 (244)* 殺した実母が迎えに来る (246)* 母の変死 (247)* 石地蔵…—— 日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫・1938年(昭和13年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫・1938年(昭和13年))
『日本怪談実話』は、田中貢太郎が昭和十三年に著した実話怪談集を河出文庫に収めたものである。明治以降に著者が聞き集めた怪異を報告調の短文で綴り、戦地の霊験や戦死者の知らせ、狐狸・天狗・海坊主、トンネルや自動車に現れる女、幽霊写真、狐狗狸などを扱う。元本は改造社刊の『新怪談集(実話篇)』で、冕言に始まって二百を超える小話を並べ、巻末に川奈まり子の解説を付す。