村人八十人の伊勢お礼参りと難船
どんな伝承か
田中彦作の由来書によれば、慶応三年八月二十七日から続いたお札天降りを受け、翌々日の二十九日、村櫛村では村じゅうから八十人が伊勢参りに立った。一行は吉田すなわち今の豊橋から船に乗ったが、明けて九月一日、湾内で急に激しく吹き出した大風に遭って危ういところ、大神宮のおかげで宮崎の鳴へ流れ着き、一日島に停泊して五日目に参宮を果たしたという。その留守中にも秋葉山の大札が座敷へ舞い込み、またも騒ぎとなった。当時の村櫛は四、五百戸ほどと見られ、ほぼ一軒から一人が参加した勘定になる。
原典より
その中から八十人が伊勢へのお礼詣りに参加したというが、一家族平均五人とみて、だいたい一軒から一人づつの勘定です。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。