日を追って増えた慶応三年のお札降り
どんな伝承か
明治維新史を専攻した薄井福治によれば、慶応三年のお札降りは名古屋から始まり、たちまち東西各地へ伝染した。同年三月十八日に伊勢内宮の札が一枚、五月二十二日に津島の牛頭天王の札が一枚、名古屋の町に降ったのが降り初めである。八月二十四日には名古屋の西南の日置村に伊勢神宮の札が降り、二十八日には町中の二か所に伊勢大神宮の札が降った。九月に入ると降り方が俄然頻繁になり、朔日から七日までに約二百か所、さらに一週間ほどで一千か所以上に降ったという。札の種類も伊勢・津島・熱田から秋葉・御嶽・豊川稲荷、仏寺の札まで数十種に及んだ。
原典より
ところが九月に入り、お札の降り方が俄然頻繁になりまして、朔日から七日までの間に、約二百個所、それから又一週間ほどの間に、一千個所以上に、お札が降ったのであります。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。