陰陽頭土御門晴雄のお札判定
どんな伝承か
嵯峨実愛卿の日記の慶応三年十一月朔日の条によれば、近日、洛中洛南などの民家に神祇の御璽や諸社仏閣の札・仏像などが降臨し、都下の男女が競って綺羅を飾り錦繍を着けて踊躍する騒ぎが近辺に及び、昼夜かまびすしかった。前日の午後には准后御所のあたりに八幡大神の札が降臨し、吉凶を占わせるよう内々に申し出があって陰陽頭土御門晴雄が召された。晴雄は、雨・雹・霰・流星・隕石の類は空から降るが、札は社寺でこしらえたもので天から降るものではなく、大方何者かの悪戯であるから吉でも凶でもないと申し上げたという。
原典より
陰陽頭土御門晴雄は、この時、雨、雹、電、霰、流星、隕石の類は、空から降るが、お札は社や寺でこしらえたもので、天から降るものでない、…—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。