奉行所に名指しされた二百五十二名の女子
どんな伝承か
慶応三年八月二十九日、駿府ではお札降りが始まり、十月に入ると「ええじゃないか」の乱舞騒ぎに変わった。市中では女子供が男の姿をまねて髪を切るなど風俗が乱れたため、これまで黙認していた奉行所もついに方針を改め、十一月二十一日付で「風俗を相乱し」たとして親の躾不行き届きを叱責する口達を出し、以後の取締りを命じた。この時「別紙名前書」に記されて名指しで処分された者は、なんと女子ばかり二百五十二名にも及んだといい、羽目を外した男子はほとんど咎められなかったことがうかがえる。
原典より
ところで、その「別紙名前書」に記された女子の数は実に二百五十二名にも及んでいる。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。