帰神すると漢詩を詠んだ十五歳の少年
どんな伝承か
明治の中ごろ、御穂神社の宮司で霊学者の長沢雄楯のもとで帰神の修行をしていた宮城島金作は、のちに長沢門下の一番弟子と呼ばれるほどの神憑りの名手になった。その頃はまだ十五歳で、学問よりも遊ぶことと食べることで頭がいっぱいの無邪気な少年だった。ところがひとたび帰神の状態に入ると、韻も平仄も正しい、格調の高い漢詩を巧みに作って周りを感嘆させたという。御穂神社の神額の文字を書かせたという眷属の八千彦命もこの少年を可愛がり、たびたび彼に憑いては大切な教えを授けたと伝えられている。
原典より
ところで、この宮城島という人は後に長沢門下の「一番の弟子」と言われるに至った神憑りの達人なんだが、この頃はまだ学問なんかよりも遊びたい食いたい一心の無邪気な子供に過ぎなかったのに、…—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。