三保の浜で消えた神託の玉串
どんな伝承か
明治二十六年六月、御穂神社の社務所に集まっていた修行者一同の前で、宮城島金作少年に佐田彦命が神憑りした。少年は拝殿へ駆け出し、戻る際に轟然たる大音響を起こして一同を平伏させ、携え来た玉串で人々の頭上を左右左に打ち祓った。足跡は九尺に一足ずつ印されていたという。玉串は長さ三尺五寸の根こそぎの珍木で、見たこともない植物であった。やがて再び宮城島に佐田彦命が憑り、かの玉串を明朝三保の浜へ流せと告げた。翌払暁、一同が五、六丁離れた浜の波打際に玉串を投げ入れると、水上に浮かぶか浮かばぬうちに跡白波と忽然と消え失せたという。
原典より
そこで翌払暁、一同粛々と砂を踏んで五、六丁距たる浜に出て、つつしんで玉串を波打際に投げ入れると、こはいかに 忽然として見えなくなった。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。