神託の夜に九尺ずつ跳んだ少年の足跡
どんな伝承か
明治二十六年六月、御穂神社の宮司長沢雄楯が社務所に大勢の修行者を集めて帰神法を指導していたとき、十五歳の宮城島金作に佐田彦命と名乗る神が憑き、ここは千年余りも不浄を重ねているので今夜八時に祓い清めよと告げた。八時になると少年はひとりでに神懸かりとなって拝殿へ駆け出し、疾風のように戻ってきた。社務所の玄関に入るとき、雷がいっせいに落ちたような轟音が響き、一同はひれ伏した。少年は持ってきた玉串で皆の頭上を左右左と祓った。後で調べると、拝殿から社務所までの足跡は九尺おきに一歩ずつ残っていた。玉串は根ごと抜かれた見たこともない針葉樹だった。
原典より
一同がすぐに調べて見ると、拝殿から社務所までの間、宮城島少年の足跡は九尺に一足づつ印していたという。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。