お札降りを妖魅の業とみた儒者
どんな伝承か
幕末の尾張藩儒者・細井要斉は好奇心旺盛な人物で、慶応三年(一八六七)、名古屋市内の「ええじゃないか騒ぎ」を毎日のように見て歩き、その様子を大著『感興漫筆』に詳しく書き残した。要斉はお札降りの現象を天狗や狐などを含む「妖魅の仕業」と推断していたという。同時代、津島の僧安藤実巌も「慶応三、不思議なる年にして」と書き起こし、末尾には「みな天魔の業とみゆ」と結んでいる。
原典より
幕末尾張藩の儒者細井要斉は頗る好奇心の強い人で、名古屋市内の「ええじゃないか騒ぎ」の情況を毎日のように見て廻わって、…—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。