永浜家に降った黄金の大黒天と物価高
どんな伝承か
丹後国三重郷下地村の永浜六左衛門の屋敷に、慶応三年十一月晦日の夜、黄金の大黒天が降った。孫で『三重郷土誌』の著者である永浜宇平によれば、おそらく晦日の夜に降ったものを翌朝見つけ、二日にわたって酒食を振る舞って祝い、大工に厨子を作らせて十二月九日に納めたのだろうという。その厨子には、大黒天が天降った御箱と記すとともに、幕府の軍用で諸役が高くなり、糸や米が前代未聞の値上がりをしたことが書き添えられていた。像は長さ一寸五分の金像で、鎌倉時代中頃の形式と見られ、大正十一年当時も永浜家に祀られていたという。
原典より
この村の永浜六左衛門の屋敷内へ、十一月晦日の夜、黄金の大黒天が天降り給うたというから、他家のことながら、お目出度い話である。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。