非定住民の集合場は珍しくなかった
どんな伝承か
千葉県柏市藤ヶ谷のような、普通社会の埒外に生きる人びとが集まる場所は、ほんの一世紀ばかり前まで日本の至るところにいくらでもあった。天幕部落でいえば、現在の大阪市阿倍野区旭町一丁目の雑木の丘にあった通称「ミカン山」が、おそらく最大であったろう。大正時代の半ばすぎまで、ここには三百人もの「乞食」たちが暮らしていた。自らこの天幕村で生活した清水精一『大地に生きる』によれば、十畳から二十畳ほどの天幕に十人から十七、八人が住み、中央に炉を切って自在鍵に鍋を掛け、煮炊きも洗いもすべてその鍋で弁じていたという。
原典より
佐貫の観音岩洞窟最後の穴居集団だったか「乞食岩」という地名もある木賃宿は田舎にも多かった第6章 悲劇を伝える二つの小地名谷川岳南麓に暮らして狩猟罠「オス」を仕掛けていたころ誤ってオスに入り圧死した旅芸人—— 村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代)