第六天の神木と縁つきいやの坂
どんな伝承か
旗本近藤家の下屋敷の脇に、幹まわり二丈ほどの大木が街道を覆って立っていた。根もとには第六天の小祠がまつられ、木はその神木とされている。男女の悪縁を離したいと願う者がこの木に祈れば験がないことはないと『新編武蔵風土記稿』は記す。それだけに婚礼の一行は名を忌んで木の下を横切らず、大きく回り道をした。もとは榎と槻が並び立ち、榎が枯れたあとも残った槻を縁切り榎と呼び続けたという。傍らの坂は古くいやの坂といい、榎木槻木岩の坂が縁つきいやの坂と語呂を成したことが、この忌みの由来だと説かれてきた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
西郊民俗 縁切り榎(長沢利明・西郊民俗シリーズ)
『西郊民俗 縁切り榎』は、長沢利明が東京都板橋区本町の縁切り榎について書いた民俗学の論考である。旧中山道板橋宿の榎が縁切りの神木とされた由来を、『新編武蔵風土記稿』や五十宮下向の際の注進書、身禄伝説、江戸の随筆と川柳、明治の講談本からたどり、樹皮を煎じて飲ませるまじないや小絵馬・祈願文の奉納、今の参拝のようすを記す。後半で足利の縁切り稲荷など各地の類例と比べて婚礼行列が避ける場所のタブーとの関係を考え、末尾に注と文献を付す。