被服廠跡に積み上がった焼死体
どんな伝承か
作家長田幹彦の見聞。大正十二年の関東大震災のとき、彼は鎮火するとすぐ陸軍のトラックに乗せてもらい、本所の被服廠跡(今の震災記念堂の建つ場所)へ駆けつけた。そこは一ヶ所だけで六万人からが死んだといわれ、焼死体がぼろ屑の山のように積み重なっていた。親の両手に七、八人の子供がまきついて死んでいる惨状もあった。長田は、賭博容疑の留置を解かれ深川の縁者を見舞いに来た新国劇の沢田正二郎と出会い、ともに焼死体の山を探し歩いたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・昭和中期(1940年代~1950年代推定))
幼少期の地獄極楽のぞきからくり(私の心霊術)/心霊術と降霊の実演/作家長田幹彦の心霊体験/交霊と幽霊との接触/明治〜昭和の心霊文化