松本城下の三十軒に降った札
どんな伝承か
塩尻から松本とその周りの村々へのお札降りは、主に中山道沿いに伝わってきたものだった。松本では慶応三年十一月一日から五日ごろまでに、城下の町々のおよそ三十軒へ伊勢皇太神宮をはじめ諸々の神仏の札が降った。かつての『松本市史』は家々が祝って酒宴を開き、喜びのあまり狂ったように騒いだと書いているが、実際の様子はほとんど分かっていない。松本藩は十一月五日と十二日付で禁令を出しており、大きな騒ぎにはならなかったようである。
原典より
松本では慶応三年十一月一日から五日ころまで、およそ三〇軒へ降った。—— 長野県史 通史編 第6巻(長野県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。