小俣村と神戸新田の豪農に降った札
どんな伝承か
松本平の周りでのお札降りについては、上大池村に残る記録が手がかりになる。それによれば慶応三年十一月一日から、松本や安曇郡の真々部宿などに伊勢皇太神宮の札が降りはじめた。六日になると、筑摩郡小俣村の大和藤七の家と、神戸新田の丸山登之助の家にも札が降ったという。この二人はどちらも土地の豪農で、のちの明治二年には伊那県の商社人に名を連ねることになる人物だった。
原典より
松本の周辺地では、上大池村(山形村)の記録によると、十一月一日から松本と安曇郡真々部宿(豊科町)その他へ伊勢皇太神宮のお札が降り、六日に筑摩郡小俣村(松本市)大和藤七、神戸新田(同)丸山登之助宅に降ったという。—— 長野県史 通史編 第6巻(長野県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。