四十五種二百三十四枚が降った木下村
どんな伝承か
木下村では慶応三年十月二十八日から札が降りはじめ、十一月に入って騒ぎが本格化し、十二月二十五日を最後に収まった。降ったのは秋葉山が二十八枚、伊勢皇太神宮が二十三枚、八幡宮が十九枚などで、種類は四十五、総数は二百三十四枚にのぼる。村の医師は、重立った家の者が緋縮緬に白無垢を重ね、顔を紅で彩り、女は男の身なり、男は女の身なりに変えて踊り歩く様子を、狂人のようだったと書き留めている。札降りを疑った家には馬の骨が降り、札を祀った家には金銀が降ったともいう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。