高砂の爺婆を演じた渡戸村の札祝い
どんな伝承か
渡戸村に降った札は、伊勢皇太神宮、津島牛頭天王、不動明王のものが多かった。村ではこれを祝って、高砂の爺と婆に扮する演し物を仕立てている。隣の上島村では「くわんにんおどり」が出た。いずれも村役人や若者組が酒を出し、村共同体の祭りとして人びとが振る舞いに浮かれるかたちで、秩序を破るような動きは見られない。もっとも前年の慶応二年には、近くの横川村で貧しい者たちが米の値下げと御救い米を求め、一揆の寸前まで行っている。凶作を抜けて豊作が見込めたことが、この年の盛り上がりにつながった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。