紺屋の妻に降った紙切れと浅間参り
どんな伝承か
富士山本宮浅間神社の門前町である富士大宮町は、すでに富士や吉原からの裸参りの群れでにぎわっていた。ここでは十月十五日、神田町の紺屋利兵衛の妻いくのもとに十センチ四方ほどの紙切れが降ったのが始まりとされ、人びとを浅間神社への参拝へ誘うような話が残っている。著者はそこに神社側の作為をうかがう。町や村から「六根清浄」と唱えて参る人の群れは日ごとに増え、にぎわいはおよそ二十日続き、奉納された米や金は神社の禰宜でさえ驚くほどの量になった。この米金が、翌年結成された駿州赤心隊の兵糧や軍資金になったと著者はみている。
原典より
ここでは、十月十五日の神田町紺屋利兵衛妻いくへの一〇センチ四方の紙きれ降下に始まり、人びとを浅間神社への参拝に誘う挿話が残されており、浅間神社側の作為を想像させる。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。