岩淵から大宮浅間へ広がった裸参り
どんな伝承か
お札降りの流行は江尻・由比・蒲原と東進し、現在の富士市域にも及んだ。慶応三年十月中旬、甲州廻米の拠点であった庵原郡岩淵に伊勢皇太神宮のお札が降り、十四日には岩淵から大勢はだかにて大宮の浅間神社へ参詣に出た。岩淵から柚木・富士、さらに吉原へと、幟や吹流しを立てた裸参りの波がまたたく間にひろがった。そのなかには女が男に、男が女にという仮装があり、岩淵では三百両の入用があったという。柚木村でも降札のあった家に、近隣の上層農から糯米や大角豆などが見舞として届けられている。降札は十一月十四日まで続いた。
原典より
十月中旬、甲州廻米の拠点であった庵原郡岩淵(現在富士川町)に伊勢皇太神宮のお札が降り、十四日に岩淵から「大勢はだか」にて大宮の浅間神社へ参詣に出た。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。