裸参りの御輿に壊された杉山家の塀
どんな伝承か
相模国大住郡馬入村の「石垣記録」は、慶応三年十二月十三日の項で、村の若者たちが毎晩はだか参りを重ね、そのあと八幡宮の御輿を担いで村じゅうを回ったと伝える。記録者とみられる薬問屋の杉山氏は、表通りに面した自家の塀へ御輿をぶつけられ、五か所ほどを壊された。杉山氏は町役と掛け合って、今後は名主や役人並みを超える出し物はしないと申し入れ、八年来続けてきた村人への施米も無駄だったと、村内のねたみへの憤りを書きつけた。著者は、裸参りの形を借りて日ごろの不満が噴き出したもので、村方騒動に近い色合いがあるとみている。
原典より
この事件は、背後にあった村落内の事情がわからなければ解明できないが、若者らの動きに裸参りの形を借りた日常の不満の表現がみられ、村方騒動に類した色彩を感ずる。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。