山田の町々が競った参宮の山車
どんな伝承か
一度目の参宮を終えた山田では、町ごとに山車を繰り出す競演が催された。評判をとったのは田中町中世古の「富士の巻狩」で、御師の春木太夫を中心に源頼朝以下二百余人の武者、さらに猪・狸・狐・鹿・兎に扮した者を加え、総勢三百五十人の行列になったという。浦口町は「羽衣」を山車に仕立てて町中が三保の漁師の姿となり、小川町は神功皇后の子と武内宿禰、中川原町は常磐御前、小木村は忠臣蔵の討入りをそれぞれ趣向とした。十一月に入ると山田奉行や津の藤堂藩が禁令を出したが、酒宴と騒ぎを戒めるにとどまった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。