御救米を迫った高下村の祭礼
どんな伝承か
揖保川の上流、山崎藩領の宍粟郡高下村では、四月九日に庄屋ら三軒へ御祓が降った。二日後の十一日には村中が仕事を休み、氏神の社で祭礼を営んでいる。この村では前年の十二月にも動きがあり、家ごとに残らず出た百三十人余りが集まって、札の降った茶屋の筆五郎ら二人に、御救米百石を願い出るよう迫っていた。維新を目前にして農民の動きが強まり村政が揺らいでいた時期で、氏神の祭りもやがて激しい踊りへ変わってゆく。代官所は十九日、「急度差留」として禁令を布告した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。