病者を受け入れた岩倉の治療共同体
どんな伝承か
岩倉の大雲寺に病者が集まるにつれ、世話をする茶屋が設けられ、十九世紀前半の文政年間には泊まれるようになった。明治より前には茶屋や農家に身を寄せる病者が三百人を超えたという。治療は霊泉を飲み、不動の滝の水を浴び、寺のまわりの田園を歩くもので、村人が病者を受け入れる一種の治療共同体ができていた。京都府は一八七三年など三度にわたり滞留を禁じたが、保養所はかえって増え、一九三五年には十一か所、病者約二百人を数えた。一八八四年には保養所四軒が岩倉癲狂院を建てた。しかし戦時中に病院は軍に接収され、保養所も食糧難で閉じ、その歩みは途絶えた。
原典より
そして、この岩倉では、病者が村人たちに受け入れられていた。—— 幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(川村邦光・1989年(平成元年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(川村邦光・1989年(平成元年))
『幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶』は、川村邦光が近代日本の民衆の心性をたどった論考で、あとがきは一九八九年十二月の日付である。明治の「血税一揆」の流言、トラホームと〈迷信〉、狐憑きと精神医学、「脳病」「神経病」、座敷牢と精神病者監護法、芦原将軍の誇大妄想と出口なおの神がかり、祖先教と靖国による霊魂の管理を、新聞記事や民話、医学書、調査報告から読み解く。はじめにの後に三部と終章を置き、あとがきで結ぶ。