鷹狩りと弓の名人
どんな伝承か
天正一八年(一五九〇)八月一日に江戸へ入城した家康は、武芸の鍛練と治安維持を兼ねて、武蔵野の原野へよく鷹狩りに出かけた。ある日、狩りのあと小高い丘の上で休息していると、一羽のトビが飛んで来て頭上に大きく輪を描き始めた。家康が「あのトビを射てみよ」と命じても、射損じを恐れて名乗り出る者がない。那須与一を引き合いに出して不機嫌になった家康の前へ、与野領大戸村の領主で旗本の牧野佐左衛門が進み出て、弓を満月のごとく引きしぼり、矢を放ってトビの胸を射抜いた。家康は「あっぱれ」と褒め、ここは何という村かと問い、小村田村と答えられると、その場で小村田村七〇石を褒美として与えたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
与野市史 民俗編――伝説・昔話(与野市(編)・与野市史)
『与野市史 民俗編――伝説・昔話』は、与野市が編んだ市史の民俗編から「伝説・昔話」の章を収めたものである。武蔵国足立郡与野にまつわる伝説と昔話二十話を、疫神や弘法大師、源頼義の伝えから、お化け地蔵・一つ目大入道・天狗隠し・猫橋のいわれなどの怪異譚まで、おおむね時代順に並べる。十五話は岡安茂生編『与野の伝説』に拠り、ほかは『埼玉県伝説集成』などをもとに再調査して書き改め、話末に注を付す。