美宇和王を弔う大日堂と老松
どんな伝承か
三田市小野に伝わる話。昔、中大兄皇子が諸国を巡って土地の豪族黒川雄宇戸の館に滞在し、雄宇戸の娘刈姫との間に男児が生まれて美宇和と名づけられた。刈姫はまもなく世を去り、皇子は宝刀を一口残して都へ帰ったが、美宇和王も幼くして亡くなったため風呂ヶ谷に葬られ、宝刀を神体として美宇和神社が建てられ、傍らに松が一本植えられた。それから三百年あまりのち、花山法皇が花山院に入られ、村人からこの物語を聞いて深く憐れみ、自ら大日如来像を彫って大日堂を建て、王の霊を慰めたという。法皇が詠んだ小野の松原の霧の歌は、この老松を指すのだと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告)
『兵庫県民俗調査報告8――伝説』は、兵庫県の民俗調査報告の一冊のうち、第10章「口頭伝承」を収めたものである。三田市の乙原・小野・尼寺・青野・末の各地区を対象に、集落の発祥や神社、廃寺、城跡にまつわる伝説、天狗に導かれたという松住大権現、狐狸の怪、狼の話などを、聞き書きと『門野氏郷土物語』などの郷土の記録から記す。伝説のあとに昔話とわらべ歌を続け、わらべ歌は地元の中学校生徒会の協力で集めた尻とり歌や羽根つき歌を載せる。