坂上田村麿の館に由来する古立
どんな伝承か
古立という地名は古館が転じたもので、景行天皇の御代に坂上田村麿がこの地へ来て館を築いたことから、タテ(館)と呼ばれるようになったと伝えられる。そのため村には田村の姓を名乗る家が多く、二十八軒にのぼる。本家にあたる田村秀一の家には、そのころから伝わるという系図が残されているという。
原典より
古立は古館で、景行天皇の御代に、坂上田村麿が来て、ヤカタを築いたところでタテ (館)と言う。—— 妙義町の民俗――伝説・怪異(群馬県民俗調査報告書 第25集・群馬県民俗調査報告書) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妙義町の民俗――伝説・怪異(群馬県民俗調査報告書 第25集・群馬県民俗調査報告書)
『妙義町の民俗――伝説・怪異』は、群馬県民俗調査報告書第二十五集『妙義町の民俗』のうち、年取りの習俗と口頭伝承を収めたものである。上高田・菅原・大久保・中里などで聞いた、お菊さま・一山和尚・爪引き地蔵、天神様や弘法大師ゆかりの石・井戸・池、大桁山や妙義山の天狗と大蛇の伝説と、屁の名人へっぴり関の話、死の知らせや火の玉、化かされた話などの世間話を収める。口頭伝承は昔話・伝説・世間話と怪異・諺と謎に分かれ、各話の末に聞いた土地の名を添える。