境川をめぐる浜の取り合い
どんな伝承か
相馬氏と五十二年に及ぶ争いを続けた標葉氏が明応元年の冬に滅び、北からの脅威を感じた岩城氏は北境の備えを固めた。岩城と相馬の境は中間の小川を挟んで相接していたが、この川が海に注ぐ河口が大雨のたびに浜須賀を変えるため、その所有権をめぐって争いが絶えなかった。船だまりとしての須賀地には、それだけの経済的価値があったのであろう。その境こそ、今の富岡町小良ヶ浜と大熊町小良浜の中間を流れる境川であった。両地の住民は互いに俺が浜だ、俺の浜だと言い張って譲らず、元禄二年九月に須賀地は岩城側と決まって決着した。我意を主張した名残は地名となって今に残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
富岡町史 第3巻(考古・民俗編)――昔話と伝説(富岡町(編)・富岡町史)
『富岡町史 第3巻(考古・民俗編)――昔話と伝説』は、福島県富岡町の町史のうち考古・民俗を扱う巻で、ここにはその第九章「昔話と伝説」が収められている。昔話の節は昭和五十八年五月の福島県教育委員会による文化財基礎調査のまとめに町の既刊の話集から数編を加えたもので、麓山の白蛇や、大原の大吉・金平六など名のある狐の話が目立つ。伝説の節には朝賀城哀話、仏浜、戊辰戦争、鉱山、北風薬師などを収め、各話に伝承者の地区と名を添える。