鶴姫を弔って入定した西妙尼
どんな伝承か
菖蒲前はすでに仏門に入り、西妙尼と名のっていた。侍女の鶴が身代わりとなって姫が池に身を投げたのち、尼は池の背後にある小倉山に移り住み、水戸の尼とも呼ばれながら鶴姫たちの冥福を祈りつづけた。元久元年八月二十一日、尼は世のはかなさと仏の道に入る喜びを詠んだ二首の歌を口ずさみつつ静かに入定し、六日後の二十七日に息絶えたという。菖蒲前を頼政の娘とする説もあり、村に来たとき身ごもっていた子をこの地で産み、その子は長じて水戸新四郎と名のったとも伝わる。
原典より
菖蒲は、すでに仏門に入り西妙尼といったが、鶴姫が入水の後、背後の小倉山に住み、水戸の尼ともいって鶴姫らの菩提を弔った。—— 広島県史 民俗編――伝説の分布(広島県(編)・広島県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
広島県史 民俗編――伝説の分布(広島県(編)・広島県史)
『広島県史 民俗編――伝説の分布』は、広島県が編んだ県史民俗編のうち、「休養と娯楽」の部に置かれた「伝説の分布」の章である。八幡信仰にかかわる聖蹟伝説や炭焼長者、厳島をめぐる石神やうつぼ船の伝説、和泉式部・虎御前・菖蒲前を語り歩いた巫女の伝説、人柱や竜蛇の伝説などを、『芸藩通志』『福山志料』などを引いて論じる。「八幡信仰の流れ」「厳島伝説の周辺」「巫女と伝説」「県北の伝説」の四節からなり、伝説の名を見出しに立てて所在地とともに述べる。