太田道灌が記したねぬよの里
どんな伝承か
太田道灌の紀行『平安紀行』には、文明一二年(一四八〇)、現在の大磯の西にあたる所に庚申という地名があったと記され、道灌はそこを「ねぬよの里」と呼んでいる。庚申の日には眠らずに夜を明かすべきだということを道灌も知っていた証しであり、その地に庚申堂のようなものがあったのかもしれないとされる。後の『東海道名所記』はこの地を「かうじんの里」と書き、西鶴の『一目玉鉾』にもそれらしい辺りに庚申堂の絵が描かれている。
原典より
太田道灌の『平安紀行』には、文明一二年(一四八〇)にいまの大磯の西にあたって庚申という地名があり、そこをかれは「ねぬよの里」とよんでいる—— 日本民俗学大系 第8巻――信仰と民俗(原田敏明・池上廣正・堀一郎ほか) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本民俗学大系 第8巻――信仰と民俗(原田敏明・池上廣正・堀一郎ほか)
『日本民俗学大系 第8巻――信仰と民俗』は、原田敏明・池上廣正・堀一郎ら十二人の執筆者による論文集である。民間に伝わる神と霊の観念、家や村の氏神、職業の神、祭りの日取りと組織、憑きものや妖怪を題材に、各地の調査報告や古記録に見える事例を引いて論じる。原田の総説に始まる十七編からなり、後半では修験道・庚申信仰・キリシタン・新興宗教と民間信仰とのかかわりを扱う。