清涼殿への落雷と公卿の即死
どんな伝承か
『日本紀略』によれば、延長八年は五月も六月も雨が降らず、六月二十六日に諸卿が殿上に集まって雨乞いを相談していた。午後になって愛宕山の上から黒雲が湧き起こり、にわかに暗くなって雷鳴がとどろき、清涼殿の南西の第一の柱に雷が落ちた。大納言藤原清貫は胸を、右中弁平希世は顔を打たれて即死し、紫宸殿にいた美努忠包と紀蔭連も命を落とした。遺体が運び出されると両家の人々が集まって泣き叫び、醍醐天皇はこれより病に伏して八月に譲位し、まもなく世を去ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・1973年(昭和48年))
『日本の妖怪』は、早川純夫が一九七三年(昭和四十八年)に著した妖怪史の読み物である。『出雲風土記』『日本書紀』から『日本霊異記』『今昔物語』、江戸の『新著聞集』などの随筆までの古典に記された妖異を、かかわりのある実在の人物や事件とともに古代から近世へ時代順にたどる。全八章で、引用は意訳を交えて『』でくくり、仏教談や霊験談、地方の民話はおおむね除き、第七章には江戸の見聞録から選んだ二十話を並べる。