跡地を畑にして続いた沖の海難
どんな伝承か
御嶽神社は以前もっと山の上にあったが、参拝に不便なため現在の位置に降ろされ、最初の神社の跡地は畑となっていた。その昔、江差からの帰りの舟が親川の沖で遭難することが度々あった。あるとき、親川の肝煎の四代目佐藤幸右衛門にお告げがあり、御嶽神社の跡地を畑にして下肥などをかけているのは宜しくない、ということであった。そこで最初の神社のあった跡地を一坪譲り受けて祠を建てたところ、それからは海難事故がなくなったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
本荘市史 文化・民俗編(現代(市史民俗編))
秋田県本荘市の伝説。竜馬山の主に足どめの法をかけた赤足止めの杉、船に害をなす虚空蔵山の手長・足長、吹雪で死んだ恋人を弔う大死人沢・小死人沢、伊勢参りの帰りに拾われ太り続けて家を富ませる熊野神社の神石、脇指目当てに殺された浪人とオウメの身投げの想思淵、弘法に水を断った罰で水の出ぬ弘法清水、龍神に通われ蛇を産んだかれい沼の女、人柱になったおから地蔵など、神石・水の怪・人柱・霊験の伝説を収める市史民俗編。