トップ > 埼玉県の伝承 > 秩父市

秩父を焼いた信玄の侵入

所在地埼玉県秩父市
年代戦国時代(永禄十二年〜元亀二年)
登場武田信玄、北条氏邦
出典秩父の伝説と方言

どんな伝承か

甲斐の武田信玄は永禄十二年、小田原北条氏を討つため北条氏邦を武蔵寄居の鉢形城に包囲し、それから元亀二年までたびたび秩父へ攻め入った。吉田町の阿能や小鹿野町の三山を荒らし、三沢谷から大宮方面へ転戦したという。このとき秩父神社、横瀬の御嶽神社、吉田の椋神社、両神の薬師堂がことごとく焼かれ、土地ではこれを信玄焼と呼ぶ。侵入を記した文書は郡内に今も多く残る。攻め入った理由の一つには秩父山中の金鉱を押さえる経済上のねらいがあったとみられ、奥秩父の山々には金にまつわる伝説が数多く語られている。

原典より

戦国時代、甲斐の武田信玄が父信虎の後を継いで天正末年に没するまでの約三十年間に於ける割拠は、彼の戦略や、本来の不屈な智勇によるものであったことは言を待たないが、その裏面に強力な経済基盤があったことは言うまでもない。—— 秩父の伝説と方言 より引用
地図で位置を見る

※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

秩父の伝説と方言

『秩父の伝説と方言』は、秩父市教育長鶴沢福松の序を付し、編集委員が執筆整理にあたって編んだ秩父地方の伝説と方言の集成である。秩父市と秩父郡に伝わる伝説を集め、武甲山麓のジジイ・ババア石、橋立鍾乳洞の悪龍、畠山重忠や坂上田村麻呂にまつわる話、伐ると祟る天狗松などを語り口調で記す。伝説は石・水・塚・屋敷跡・山と人物・地名・社寺および城跡・木に関する八つの部に分け、話によっては他地方の類話を注記する。

種別から探す

武田信玄鉢形城金鉱北条氏邦焼き討ち御嶽神社

秩父市の伝承

同じ種別の伝承

同じ文献『秩父の伝説と方言』の伝承