平井の神風講と相互扶助
どんな伝承か
平井はおよそ百五十軒からなり、大下、道官向、入向、西向、中向、山向、下向、上向の八つの組それぞれに神風講があった。村人の親睦を目的とし、戦時中は隣組の団結の土台にもなったという。助け合いの仕組みとしても働き、葬式の折の野ごしらえや輿の担ぎ手、野弔いの鐘打ちを担い、通夜の念仏では講中が酒をふるまった。この講は孝明天皇の代からとされ、王政復古の思想を背に、明治以降の皇室中心の考えや神道の布教のなかで育ったものだといわれる。講は毎月十五日に開かれ、平月のものをツネ講、十二月十五日の最後の講をシマイ講と呼んだ。シマイ講では厄落としも行われ、帰りには小豆粥を紙に分けて持ち帰ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。