谷根の金毘羅講と代参
どんな伝承か
谷根には四国の金毘羅さんを信仰する講が二組あり、成立は明治十年前後と思われる。家内安全や無病息災を願う講で、農耕神としての性格は薄い。明治十七年三月、新沢多四郎や大沢市郎兵衛ら多くの寄附で胞姫神社の境内に金毘羅神社を分祀し、今は谷根神社に移されている。山崎倉吉を中心とする講は、先代の作助が明治四十三年に個人で参ったのがもとで大正四年に組織され、毎年正月十六日に山崎家を宿にして掛軸を掛け、精進料理で会食した。四国への代参は三年に一度で、出立の際は家族と水盃を交わし、谷根神社境内の金毘羅神社を拝んで見送られた。近年は団体旅行で参拝が容易になり、賽銭を社務所へ送ってお札を受けるようになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。