駿河の聖人長沢雄楯と稲荷講社
どんな伝承か
長沢雄楯は安政五年八月八日、静岡県清水に生まれた。長沢家は三河国長沢の城主の庶流で、初代政重が徳川家康の死後に清水へ留まり、月見里家の屋敷を譲り受けて永住したという。屋敷の鎮守は月見里神社と称し、後に県の許可を得て設立された稲荷講社はこの屋敷神社を本部とした。長沢は十二歳で藩校に入り、明治七年には十七歳で中教院の漢学助教に抜擢され、御穂神社の祠掌も務めた。明治十八年、静岡に来ていた本田親徳と面会して詰問を論破され入門、霊学と鎮魂帰神を伝えられる。明治二十四年に稲荷講社を設立し、多くの弟子に鎮魂帰神を広めた。
原典より
当屋敷の名は、ここに縁あって数日滞留した源為朝の命名になるもので、これにちなみ屋敷の鎮守も月見里神社と称した。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。