出口王仁三郎と鎮魂帰神の歩み
どんな伝承か
出口王仁三郎は旧名を上田喜三郎といい、明治四年、京都の亀岡・穴太に生まれた。近代神道史における鎮魂帰神行法の実践者として知られる。大本側の記述によれば、明治二十一年、諸国を遍歴していた本田親徳が丹波のとある峠で若き喜三郎を見かけ、その資質に感じて神道家として尽くすよう諭したという。明治三十一年、喜三郎は郷里の高熊山の岩窟で一週間静坐する神秘体験をし、異玉彦と名乗る霊人から神訓や鎮魂帰神の法を教えられたと述べている。のちに静岡の長沢雄楯の審神者のもとで幽斎を行い、日露戦争の予言をしたと伝わる。
原典より
出口王仁三郎は旧名を上田喜三郎といい、明治四年(一八七一)、京都の亀岡市穴太に生まれた。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。