戒壇を拒まれ大鼠と化した頼豪
どんな伝承か
三井寺の阿闍梨頼豪は祈禱の験で知られ、白河天皇に請われて皇子誕生を祈り、中宮賢子は敦文親王を産んだ。褒美として頼豪は寺に戒壇を置く許しを求めたが、比叡山の圧力を恐れた天皇は一度交わした約束を反故にする。怒った頼豪は親王を道連れに魔道へ入ると言い残し、持仏堂にこもって食を断ち、大江匡房の説得も退けてそのまま餓死した。ほどなく親王は四歳で世を去る。頼豪の恨みはさらに比叡山へ向かい、その霊は大鼠と化して山の仏像や経巻を喰い破ったと語られる。別伝では、寺の鎮守の新羅社が鳴動し天皇が病に倒れたともいう。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年))
『呪術と占いの日本史』は、渋谷申博・瓜生中が平成四年に著した日本呪術史の概説書である。縄文の屈葬や土偶、卑弥呼の鬼道から中世の呪詛、近世のおかげ参りと「ええじゃないか」を経て、明治の神仏分離と修験・祈禱の禁止までを、記紀や史書の記事と民俗の断片から拾い上げる。古代・中世二章・近世の四章を小項目に分けて立て、表の歴史に現れない民間信仰を「闇」の系譜としてたどる。